シネマパラダイス

ものごころついた頃からよく映画を見に行っていた。というより小さい頃は連れて行ってもらっていた。昔の記憶をたどると、覚えているのは「赤胴鈴之助」や古事記の日本誕生ものの映画である。

中学校では校内映画会なるものがあり、その時見たのが「サウンド・オブ・ミュージック」であった。内容よりも、キスシーン寸前になると画面が真っ暗になったことだけを妙に覚えている。

当時は町に映画館が二つ、三つあったような記憶があるが、映画館で見れるのは学校指定の映画、すなわち学校が許可した映画だけであった。高校生になると制限もゆるやかにはなったが、しょっちゅう見れるわけもなく、もっぱらテレビ映画にかじりついていた。その頃は毎日のようにテレビで映画をやっていた。

月曜日は、荻昌弘さん解説の月曜ロードショー、水曜日は水野晴夫さんの水曜ロードショー(のちに金曜ロードショー)、そして日曜の淀川長治さんの日曜洋画劇場(最初は土曜とか)で、NHKでも週末に不定期で洋画を流していた。しかし、地元で見れたのはNHK以外にはTBSとあと1局だけで、日曜洋画劇場を見たのは大学進学のため上京してからのこと。木曜日にはテレビ東京で木村奈保子さん解説の木曜洋画劇場、金曜はフジテレビで高島忠夫さんのゴールデン洋画劇場をやっていた。

現役で大学に入れなかった小生は上京して新宿の予備校に通うことになり、授業が終わると主に小田急ハルク裏の名画座に直行していた。当時は二本立てで100円だった。新宿の名画座という名画座には行き、あげくは池袋や立川の名画座に通い、映画三昧の生活を送った。年間60本以上みたのでは? 当然、二浪という結果が待っていたが。二浪後、何とかして大学に入ると、その大学には荻昌弘さんの映画の講義があった。「戦艦ポチョムキン」を解説しながらの講義が印象に残っている。

ここに一冊の本がある。「淀川長治シネマパラダイス」 淀川さんの映画評論の集大成みたいな本で、淀川さんは常々『映画に私は育てられた』みたいなことをおっしゃっていたが、このブログは私なりの「シネマパラダイス」です。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました